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私事で恐縮ですが・・・
それは、突然だった。

先月、7月の初旬、2つのライブ、レコーディングを控えて、
いつものように、カラオケ屋で練習中。携帯がなる。着信者を見れば

「(名古屋の)アニキから・・・?」

電波が悪かったので、後で掛け直せばいいやと一回目は出なかった。
「それにしても、アニキから電話って珍しいな。」そう思ってたらすぐにまたアニキから電話。
さすがに、外に出ながら、電話に出る。電波がまだ悪い。よく聞き取れない。外に出て、ようやくはっきりと聴こえた言葉。

「親父が倒れた。」

・・・僕は事態が直ぐには飲み込めなかった。

元気な親父である。正直、うっとおしくらい元気な親父しか子供の頃から僕は知らない。
僕の友達とかと会ったら、女の子にでも平気で「お前、太ったな!」
とか、ずけずけ言ってしまう親父だ。それが、うっとおしく思えた時期もあった。

僕は子供の頃、家が“貧乏”だなんて思った事がなかった。でも、二つ上の兄貴は大人で、今「昔、貧乏だったよな~」と言う。
子供の頃の思い出と言えば、僕の大好きな炭酸飲料「キリンレモン」
(我が家では僕が子供の頃上手く発音できなくて「キンモ!」といった
のが始まりで、それ以来ずっと“キンモ”と呼んでた)
母から「体に悪いから」と言われ、お酒を飲むお猪口みたいな小さな器に、毎日、一回、風呂上りに飲んでいいといわれ、子供の僕は
その小さなお猪口にこぼれるまでついで一杯を飲んでいた。
それを、アニキは「貧乏を誤魔化してた」という。僕は、子供だったから、それを何も疑わずに、むしろ、楽しんでいた。

それは今思えば、子供の頃から親父から“愚痴”どころか、“辛らい顔”すら一度も、ただの一度も見た事なかったからかもしれない。

母は今になって、「あの時、実は大変だった」とかの話を大人になった僕にする。僕が鈍いのか、親父がそんな大変だった時期があるとは全く気づかなかった。
親父はいわゆる“サラリーマン”ではない。自営業の社長だ。
しかも、親父のお父さん(僕のおじちゃん)は僕の赤ちゃんの時に亡くなり。兄弟は7人兄弟なのだが、親父以外はなんと、全員、女!
長男なのである。

今思えば、親父は今の俺くらいの歳ですでに、誰にも頼らず、一代で会社を興し、家族4人を支え、山本家を支えていた。
・・・その、すごさを今は痛感している。

親父36歳、俺12歳の時、何千万の今の実家の一軒家を一人で立てた。おじいちゃんのお墓も、そんなに立派じゃないかもしれないけど、ちゃんとしたのを建てた。

・・・あと、6年後俺はそんな親父と勝負出来る男になってるのだろうか?

「親父を尊敬」なんてキレイな思いじゃない。一人の人間として男として、「こいつに勝ってやる!」という思いで今はいる。

・・・そんな親父が倒れた。親父=バカ元気だったから、理解するのに時間がかかった。

聞けば、肺の片方がつぶれたらしい。両方つぶれたら、死ぬ事もあった。アニキは

「どうせ、お袋とかから何も聞いてないんだろ?」

親父も心配だったが、僕は母も心配だった。
誰よりも回りに気を使う人だ、その証拠に何も知らない僕は
アニキから電話で知らされてる前日に母からメールが来て

「あんた、最近連絡ないけど、食べてるの?食べ物ある?送ろうか?」

と言われ僕は「じゃ、これとこれと、・・・適当に送って!」
と・・・ホント、マヌケだよねf^_^;知っていたら、そんなモンいらないし、俺なんかに気を使ってる場合じゃないのに。アニキは「お前が帰ってくると、親父もお袋も気を使うから、帰ってくるな。死ぬことはないから、一応知らせておいてやった。」と

やきもきする僕に、その夜、母から電話。アニキから言われしぶしぶかけてきた感じで「あんたが、帰ってくるとお父さんが『俺、本当はガンで死ぬんか!』って思っちゃうから、大丈夫だから、帰ってこないで、そっちで、精一杯やっていなさい」と

・・・どうしていいかわからなかった。

今だから言える話、その時点で

「ライブ中止して、名古屋戻るか・・・?」

という気持ちが無かったとは言えない。むしろ大きかったと言える。
でも、ゆっくり考えた。親父が「お前、歌で飯食いたかったら後悔しないようにやってみろ!」と言われた事などと共に、
僕が東京に来た時の覚悟。

「芸人は親の死に目に会えない」

その覚悟で来た。確かに。
僕の尊敬する、お笑い芸人。最近では、明石家さんまさんがお父さんを亡くしても、「TVでは泣かない」というポリシーの元、泣くドコロか、それをネタにして笑わしていた。
島田紳介さんは元相方を亡くし、朝、会見で号泣したかと思えば、その夜の5時間生放送を、何も無かったように爆笑の司会をしてた。
ダウンタウンの浜田さんは自分の子供が産まれて3ヶ月の時医者からもしかして「血液の病気」にかかっているかも、検査待ち。
その状態で。「ガキの使い」などの収録を誰にも悟られずいつものようにやった。(僕は全く気づかなかった。大分経ってから、本人、奥さんがエッセイで書いて知った)

・・・僕もそうできるか、試す時かもしれない。

例えば一人でも、僕なんかの歌をワザワザ時間を割いてお金まで払ってきてくれる人がいる。なら、僕は歌うべきだ。例え、実の親父が危篤だったとしても。

だから、むしろいつもより集中してライブをやってやろう!という
気持ちだった。

・・・ところが、あのザマである。(日記参照)

メールで心配の声があがった「何か言われたの?」「どうしたの?」

誰にも何も言われてない。少なくとも僕の耳にはお褒めの言葉しかなかった。

・・・でも、僕は悔しかった。情けなかった。カッコ悪かった。

僕の覚悟はそんなものかと。

2本のライブが終わった頃「親父退院」のメール
ホッした。「これでレコーディングに集中できる!」と

7月25日レコーディング初日、無事終わる、スタジオに出て、メール受信。
母から

・・・「お父さんが再発して、再入院した。」

その日から僕は夜中は親父の病気について本やネットを中心に勉強し
昼はレコーディングにむかった。

僕が調べた結果、東京にしかも僕の自宅からさほど遠くない所に
親父の病気を全国で唯一専門にやってる名医がいる事を知る
連絡し、東京と名古屋だから、弱ってる親父を直接見てもらうのは
難しい。そこで、名古屋からレントゲンなどを取り寄せ、

今日、僕がそのお医者さんに会いに行った。

結果、8月末から9月の手術、入院が望ましいとなり。
ほぼ、その方向に向かっている。

僕は、きっともうすぐ東京に来る親父の助けをしたい。
でも今動いてる、CDや本。
そして何より8月31日の久しぶりのライブ
完璧にやる!約束します。

でf^_^;長々と何がいいたいかと言うと・・・

9月頃まで

「日記」や「BBS」

最近増えてきた皆さんからのメールの返信

などがきっと、オロソカになりますm(__)m



が、言いたかっただけですf^_^;ホント個人的な話長々すいませんm(__)m

もちろん「日々」は意地でも続けますからf^_^;

僕をみすてないおで~(T_T)~
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【2006/08/04 22:56 】
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